東部地区は東京都の奥多摩町と境界を接しており小菅川の最下流に開けた集落です。車で2分も走れば東京都です。
この地区は東京都の水がめ、奥多摩湖を作る際に道路が整備されたため、利便さを求めて集落ごと現在の地に移転してきたとの事です。その為、住まいは比較的新しい家が多い地区です。
昔の集落は現在より標高で100mほど上にありました。現在でも人が住んでいますが山の上の切り立った斜面にわずかな平地を設け家を建てて住んでいたのです。
南斜面に位置するために日当たりはよく山仕事を生業に生計を立てていました。
小菅村に来て以来、なぜこんな山奥に人が住んでいたのかと言う疑問をずっと感じていたことなのですが、山の中に入りやっとわかりました。
元々、われわれの先祖である縄文人は里山を中心に生活を営んでいました。その理由は平地より山の中の方が食材が豊富にあったからです。しかも平地よりずっと安全な場所だったのです。
現在この地区には多くのキャンプ場が開け、夏の時期には多くのキャンパーで賑わいます。
ここでもタイニーハウスを発見、なんと自然の立木を支えとして小屋を建てていました。ツリーハウスではないのですが、面白い考え方です。
この集落の一角に村のタイニーハウスが建設されました。若者を一か所に集めるのではなく、各集落に分散させ、各集落を活気ずけようとの考えから実施されました。
これから建設されるタイニーハウスもこの考え方により、村の中に分散して建てられる予定です。